もしも今日が人生最後の日だとしたら?
今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?
NOと答える日が何日も続くなら、何かを変えなければならないということだ。
スティーブ・ジョブズが言っていたね。
私も鏡の中の自分に問いかけてみる、と!
あらまあ、やりたくない事だらけだわ、困ったわ。
仕事、やりたくないし。
ごはんだって作りたくない。
掃除だってしたくないし。
本当に最後の日なら、しなくてもいいけど、そういうわけにもいかないじゃん。
いや、違うな、ジョブズが言いたいのは、「するな」ということじゃない。
他の方法を考えろってことだわね。
うーん、ごはん作りはしない方法はあるね、買って来ればいい。
でも、案外、外食や中食は飽きるんだよねえ。(経験あり)
なぜか、粗食でも家で作ったものが飽きないで食べられる。
まあ、そんな時は作ればいいもんね、それくらいのスタンスがいいなあ。
掃除はね、これもまた、汚いのはそのうち耐えられなくなる。
そしたら掃除すればいいんだけどさ、今は姑さんと同居だから、毎日掃除もしないでピアノを鳴らすことはできないのよ。(そこがストレスだわ)
同居している人ならわかるよねえ。笑
仕事はね〜、やめてしまったら生活できないし、この年で他の就職先を見つけるのは無理だしね〜、何か自分にできることはないかと考えたりするんだけどね、凡人のおばさんには思いつかないのよ今のところ。
でね、ピアノのことも考える。
今日が人生最後の日だってことになったら自分は何が弾きたいのか?
それはもうバッハに決まっている。
他はいらない。
ってことは、バッハだけ練習すればいいんじゃないの?
それでハッピーじゃん?
ショパンも、ギロックも、シューマンも、ヘンデルも、ベートーベンも、聴くだけでいいんじゃね?って。
なんなら、グランドピアノでなくてもいいんじゃないのか?
バッハをチェンバロで弾きたいよねえ。
とか、ワケのわからない妄想に走っている今日この頃である。