『親ガチャ』という若者言葉を初めて知った。
親は自分で選べないということを、ガチャガチャに例えて言うらしい。
私はそれを聞いて、「あら、上手いこと言うねえ。」と思ったのだけど、そんな呑気なことでもないようなのだ。
テレビでは、「親に対して失礼だ」とか「自分の子供から言われたらショック…」だとか、中には「親だって子供を選べない!!」とか言ってる人もいて、深刻なモンダイなの?って思った。
親は自分で選べないということ自体は昔から言われてきたことだけど、昔と違うのは、格差社会が固定されてしまっていることだという。
高度成長時代ならどんな家庭に生まれても、自分の努力次第で人生を変えていける希望があったけれど、今みたいに不景気な時代だと、いくら努力しても変えることは難しい。
結局、親がお金持ちか貧乏か、社会的地位があるとかないとか、そういうスタートラインでの差がそのままずっと子の人生に付きまとう。
そしてそれがネット社会の発達で、容易に他人の様子を見る機会が増えた。
昔なら、「ナニナニちゃんのお父さんは社長さんなんだって〜」なんてのもウワサで聞いたりするくらいだったのが、今だと、Instagramでご馳走を食べてる姿だとか、海外の青い海のビーチで遊ぶ姿だとか、買ってもらったブランドバッグが山のようにある自室だとか、それはもう具体的に見知る事ができるのだ。
そりゃ、確かに比べちゃうよね〜。
「『親ガチャ』失敗」と言いたくなる気もわかる。
テレビのコメンテーターが、いい事言ってたよ。
「どの親から生まれたか」というよりももっと大きな広い視野で考えてほしいって。
どこの国に生まれたのか、どの時代に生まれたのか?
同感だなあ。
私はよく思うよ。
今、この時代の日本に生まれて本当によかった、ラッキーだったって。
ちょっと思ったんだけど「親ガチャ」ってさー、舅姑だったらどうかな?
『義親ガチャ』って言えるのかな?
いや、義親は“選ぶ事が出来る”範疇にあるのかな?
それとも配偶者にもれなくついて来てしまうわけだから、選べないのか?
はたまた、配偶者を義親込みで選ぶべきなのか??笑
《今日のひとコマ》
ブログに書いた『道端に咲く花』だけど、この間アップした写真はあまり”道端感”がなかったので、改めて写真を撮ってみた。こんな感じで咲いているのだ。
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